定禅寺通りは年に一度の光のページェント。
満開の灯火が今年の暮れを盛り上げます。
さあ、お正月
あれやこれやと忙しいことは忘れて
ゆっくり静かにお正月迎えを楽しみましょう。


お正月
寒く晴れわたった冬空に、紙垂がなびく光景を見たときの清々しい気分。
赤と白の紙や水引を見ると、「おめでたい」と感じること。
私たち日本人の根底に備わったものがあります。
いつも来るお正月。
いつも見る光景。
何気ない習慣。
ただ、ほんのちょっとだけでも意識しないと、それらは失われていくかもしれません。
とても美しいのに、何気ないから減っても失っても気がつかない。

失くしたらもったいないです。
私たち日本人にしかない美意識だから。
小さいものたちだけれど、とても大切な寶だと思います。

日本って綺麗だな〜
そう思っていただける機会になればと思いました。
杜間道企画、このページからはじまった初の番外編展示です。
この度も杜間道 小寶 杜間道のおまけ話ご覧いただき、まことにありがとうございます。

小寶 杜間道のおまけ話

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■注連飾り しめかざり

年神様をお迎えし、ケガレや災禍(さいか)を家を守るお飾りです。
年神様は、米の国の日本人らしく稲穂の神様とされ、注連飾りは、藁(注連縄)や稲穂を
用い、そして清さを表す真っ白な紙垂(しで)を添えます。
玄関や、水や火を使う台所、井戸や窯、そして大木や岩など、神様が鎮まります場所に
飾ります。
地方によって異なりますが、縁起物のだいだい、裏白などが添えられ飾られることが
あります。

飾り始める日は、地域の風習によって異なりますが、今ではクリスマス後から二十八日
までに飾るのが一般的で、二十九日と三十一日に飾る事は避けられることが多いようで
す。
飾りを取り外す日も地域によって異なりますが、一月七日に七草がゆを食べた後、もし
くは十五日の小正月前にとり外すのが一般的です。  

協力 栗駒市 佐々木さんの注連縄
栗原の田んぼで、米が出来る前に刈り取って保管していた藁を 冬に入った農閑期、農
家のお母さんたちが集まって、ひとつひとつ手で綯っています。
今では安価で絢爛な輸入物がおなじみですが、藁の香りがするこの注連縄に、奉書紙を
切った紙垂を添え、素朴で質素な昔の注連飾りのように仕上げてみました



■切り紙

日本での神まつりの祭具に、紙はかかせません。
神が紙に降りる。まさに。
かつて紙はとてもとても貴重品でした。特に真っ白な紙がそうでした。しかし、日本の民
は昔からその貴重な紙を祭事には惜しげなく使い、清々しさと安らぎを得てきました。

切紙とは御幣(ゴヘイ)や紙垂(シデ)切子(キリコ)など、神の依代あるいは神への供え
物として用意されたものをいいます。
祭事、特にお正月には真新しい切紙が神棚を中心に、神が鎮まります場所に飾られます。
宮城県は昔からこの切紙が、盛んに飾られました。
特に農山漁村に飾られたその見事さは、他地方から抜きん出ているといっても過言ではあり
ません。
何故、宮城県でこの切り紙が盛んになり、特に芸術価値が認められる程美しく発展したか、
理由はわかりません。しかし、この跳び抜けて綺麗な切紙が、宮城県で生まれたこと、そし
て今もあることに幸せを感じ、何かに感謝した気持ちになります。
(切紙はは毎年在所の神職の手で奉製され、氏子やに領布されるものです。昔は家の人が
切ったりもしていました。)

協力
宮城県神社庁



■水引

水引は、和紙でできた こより(細く切った紙をよったもの)に糊をひき、乾かして固め
たものです。
飛鳥時代、遣随使小野妹子が帰朝した際、随の答礼使からの贈り物に、航海の無事と平
穏を祈り紅白の麻紐が結ばれていたことが始めといわれています。
この時より宮中への献上品は紅白の麻で結ぶ慣例となり、後の平安時代に「水引」と呼ば
れるようになりました。
昭和になると、さまざまな結び方が考案され、金封、結納と水引細工の生産が増えました。
また、日本では結ぶということが心の結びつきを意味します。そこに結びの美しさが加わ
った水引細工は海外の人々から賞賛をもって憧れられています。

飯田水引
和紙作りが盛んな長野県飯田市で、江戸時代から作られた元結に改良を加え、光沢のある、
丈夫で良質な水引が作り出されました。現在では飯田市が全国の七十パーセントの水引を
生産してています。
出来立ての水引は発色も良く晴れ晴れとしたものです。

協力  
有限会社関島水引店 (長野県飯田市)



■折形  おりがた

贈り物を紙で包む作法のことを言います。
室町時代の武家社会において発生し、江戸時代には数々の流派が興るほど発展しました。
昭和初期までは礼儀作法の一つとして、授業でも取り入れられていました。
現在は包装紙や市販の包みが主で、結納や熨斗袋以外で折形に接する機会が非常に少なく
なりましたが、この美しい習慣を思い出し、身近なものとして接していけたらと思います。
水引などの美しい結びとともに、折形も日本人の優れた感性と技を象徴するものです。



■大社の祝凧

出雲大社宮司の千家と北島の両家に伝えられてきた凧で、大社背後の亀山と鶴山を象徴し
ています。「亀」と「鶴」二枚一組の祝凧で、元禄の頃、両家に祝い事があると、各々の
凧を村人があげたのが始まりといわれ、今も伝えられるとても縁起の良い凧です。
他にはないシンプルで美しい意匠と縁起のよさから、装飾用として伝っていますが、今は
一軒の凧屋さんが残るのみとなりました。
竹ひごのから型作り、そして和紙貼りや絵描き、乾燥と全てを手作業で行っているため、
一つの凧を作り上げるまでに四〜五日の手がかるそうです。

協力
出雲市大社町 高橋祝凧店



■長崎の凧(ハタ)

十七世紀頃オランダなどから伝わったといわれています。
長崎のハタはシンプルなひし形。国旗や家紋のように洗練されたデザインで、色も例外
をのぞいて、青・赤・白・黒の限られた色しか使いません。

昔ながらの作り方は、かつてのハタ職人たちの材料を全くムダにしない仕事ぶりにその
まま習うものです。
紙は染色した和紙に紋様の型をとって裁断し、それを数種類張り合わせて作ります。
その型の取り方はムダを出さない創意工夫の結晶でもあります。

協力
長崎市 小川凧店 (小川さんは、長崎でただ一人のハタづくり専業の方です。)



■祝い箸

祝い膳に使われる箸で、柳や杉の木などの白木で作られ、両端が細くなっています。
神様を迎えて過ごす「ハレの日」に使用されるため、神様の口と人間の口用に両端が細く
削られていて、また、白木は香りもよく「清浄と神聖を表し、邪気を祓う」と言われてい
ます。

極上国産柳を使った柳の丸箸、樹齢百年以上の奈良県吉野杉の 白木部分と、希
少な赤味部分をを使った卵中形状(お箸の側面から見ると卵の形をしており、別名一本利
久とも呼ばれる)の箸を用意しました。

ほんのりとした木の香りが清清しい箸です。

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